相談するもしないも自分の選択♪

誰にも相談できず一人で涙することや、

悩んでいること・心が落ち込んでいることすら自分で気づかず眠れぬ日が続くことがあります。

 

「相談できない」

ということは、今振り返ってみると

相談できない、のではなく、相談しない、のだなと思います♪

 

私は以前、

自分を変えたいと思い、ある研修を受けました。

(自己啓発とか宗教的なやつじゃないです(笑)。宗教を否定するわけではありませんが。)

 

そのときに、今まで誰にも言えなかった事をここで言ってください、というセッションがありました。

 

それは自分のした酷いこと、悲しみ、怒りなど、全部です。

 

私はそこで発言するか迷いました。

そのことを引きずっている自分が嫌になって、自分を変えたくてその研修に参加しているわけですから、

その研修の場でそのことを頭によぎらせたくもなかったのです。

そのことを忘れて、この研修に集中したいと思っていたのです。

 

そうすれば、そのことよりも、他に何か大事なものを見つけて、決めて、その後の人生はさっぱり生きられると思っていたのでした。

 

でもそうじゃない。

 

確かに自分の生き方を決めれば、過去のことなんていちいち考えず、うじうじしないのかもしれません。

 

でも、そのことと、すり抜けることは違う。

他の何かを満たしても、空っぽのものは空っぽのまま。

 

 

私はそのセッションで、自分のことを話しました。

そのことをここで話せば、何かそれに対する解決の糸口が見つかるのかもしれないと思ったのです。

ここで言えば、何か乗り越えるヒントを得られるかもしれない。

 

そう思って、全員の前で話しました。

体は震えるし、涙は出るしでぐちゃぐちゃでした。もうこんな姿にやりたくなかったから、このこと考えずにいたのに、、

 

参加者全員が話し終わった後、研修トレーナーはこう仰いました。

 

「話すかどうかも自分の選択なんです。」

 

私はこの言葉に衝撃を受けました。

何かヒントを得らえるかもしれない、変われるかもしれないと思って打ち明けたのに、

そうではなく、

自分の選択であることを学ぶ場だったのです。

 

(この言葉が衝撃すぎて、他の言葉が耳に入らなかっただけもしれませんが)

 

私は言うんじゃなかったと猛烈に後悔しました。

が、同時にトレーナーの言葉も同じくらい強烈に体に打ち込まれました。

 

言えないんじゃなくて、自分の選択で言わなかったのだ。

 

あんなに苦しんでいたのも、涙していたのも、全部そうするように自分の選択だったんだ、と感じました。

 

 

このセッションでは多くのことに気づきました。

「すべて自分の選択」

「人生は自分の選択でできている」

これを受け入れるにはかなりの痛みを伴いますが、とても大事なことだと思います。

 

あの出来事は、私にこのことを知らせるために起こったのだと、

人生からの課題だったのだと今では思います。

 

そして、何か悩むことや自分で答えを出せないことに直面したとき、もちろん最終的には自分で答えを出しますが、ちゃんと適切な人に相談しようと思いました。

 

人を信じるには勇気がいる。

それ以上に自分を信じることには勇気がいる。

 

でもだからこそ、

自分を大事にするためにも、人に頼ることも覚えよう。

 

すべて自分の選択で。