人の好き嫌い

私、これ結構激しかったです。

今も0ではないですが。。


でもたくさんの方と出会っていく中で変わってきました。

人と出会い、関わってくといろんな経験をしますね。

 


26歳のとき、ある出会いをきっかけに大きく私は変化してきました。

付き合う人も環境も180度変わり、生活も真逆といっても過言ではないほど変わりました。


その過程では、嬉しいことも楽しいこともたくさんありましたし、

大事な人をひどく傷つけて自ら関係を壊してしまったり

自分の冷酷な面がむき出しになったり、

さまざまな自分が出てきて向き合わざるを得ないこともたくさんありました。


こうしてたくさんの人との出会いによって本当の自分を知り、良くしていこうと努めてきました。

 

変わる、というとどんな印象を受けるでしょうか。

変わる、と一言で表現しても、良くも悪くも、あります。

 

ある変化でも、

人によっては"いい変化"、

人によっては"それどうなの?"

と人それぞれ捉え方は違います。

 

私は過去の自分も好きですが、努力して変わってきてよかったと思っています。

 

でも、今、出会う人の中に

「あなたは好き。でもたくさんの人と出会ったり遊んだりするのってどうなの?」

と仰る方もいます。


たしかに、自分のことを客観的に見れば

「この人めっちゃ遊んでるわ」

と思うかもしれません。(笑)

 

ですが、今の私があるのは、たくさんの人との出会いによって、なんです。

だから、それを無くしてしまうと、今の私ではなくなってしまう。

 


嫌だと言われても、それも含めて私なんです。

それがあっての私なんです。

 


人に受け入れてもらえない経験をして、

自分が人の受け入れられない部分も全部含めて、その人なんだなと思うようになりました。

 


その人のすべてを愛す、というと大げさだけど、その人のすべてを大事にしようと思うようになりました。


駄目だなと思う部分も、人間らしくていいな、

と可愛く思えるようにもなりました(上から目線でごめんなさい。)


そもそも自分が嫌だと思うことって、自分が嫌なだけで、人によってはそれが魅力的だと思うことだってあるし。

 


そうすると、嫌だなと思う部分も、許せるようになったというか、それがあってのこの人なんだ、と感じるようになりました。(再び上から目線でごめんなさい)。

 


痛い経験をして、初めて自分の思考に気づき、改まる。

 


人の振り見て我が振り直せ、であればいいけど、鈍感な私には、振りではなく実際の痛い経験がまだまだ必要なようです。

 


自分ことをちゃんと伝えらえるようになる努力もしながら、


「障害よ来たれ、それが私を強くする」のだ。