記憶

記憶ってほんとに曖昧。

 

引っ越したばかりの頃はよく散歩してた。

宛てもなくただ歩いたり、適当にゴール地点を決めて歩いてみたり。

 

 

そこで偶然見つけた、坂の上から見る広い景色。

久しぶりに見る開けた大きな空と、奥深く広がる街の光景は

思わず立ち止まるほどに綺麗でした。

 

普段、興味を持った店に関してはGoogle MAPにチェックしておくのに、このときはそれをしなかった。

 

こんなに感動するほどの場所なんだから覚えてられるだろう、絶対忘れない!と思い....

 

そしてその一週間後。

もう一度あの景色を見るために......

同じ道を辿っているはずなのに、

そこに向かっているはずなのに、

全く行きつかない。

 

確かこの道だった...と、あの坂道を探して歩き回るけど違う。ここじゃない。

 

自宅からある場所へ向かっている途中に見つけた場所。

そんなに範囲は広くないのに何故見つけられないんだと、自分に苛立つ始末。

その後も土日に何度も探したけどついに見つけることはできなかった。

 

 

 

あれから約半年後。

 

スマホのキャリアを変えるために自宅から最寄りのショップへ。

ほとんど行くことのない方向なのでGoogle MAPを見ながら道順を確かめながら歩いて行く。

 

 

そしたら....

そしたら....

 

その道中にあの坂道が!あの景色が!突然目の前に。

 

 

ここだったんだ!!!!

 

嬉しい気持ちの傍で

自分の記憶の曖昧さに愕然。

 

全く違う方向に記憶してた。

私の、あの大感動した記憶は一週間も持たないのか....

 

とはいえ、あの景色にまた会えたことがすごく嬉しかった。

 

 

人の記憶は、私の記憶は、本当に曖昧。

 

 

 

GoogleMAP、まじ神。

 

 

 

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環境を変える

下書きに残ったままの記事があった。

 

不安があったのかな

 

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自ら環境を整えることは大事だと思う。

 

その環境にとどまってまでも乗り越えるべきことなのか、環境を変えて別のことに取り組むべきか。

 

それが、チャレンジなのか逃避なのか、

それは本人が決めることだと思う。

他人の決め付けに、耳を貸す必要はない。

どちらにせよ、いずれ自分が身をもって知ることになるのだから。

 

 

その時は自分でも分からなくても、

どのみち自分の課題は乗り越えない限り

いる場所を変えても直面する。

それならば、思い切って環境を変える選択をしてみてもいいと思う。

 

戦うべき土俵なのか、

戦うべき相手なのか、

心をすり減らすべきところなのか。

 

もう、気づいてるでしょ。

 

 

「諦めるのは簡単」

とか

「やめるのはいつでもできる」

って言うけど

 

簡単じゃない。

やめるにも勇気がいる。

簡単な気持ちで、これまで継続してきたことをやめることはできない。

 

 

ここでやめたら、

自信を失うんじゃないか

自分がダメになるんじゃないか

取り返しのつかないほどに自分を傷つけるんじゃないか

立ち直れないんじゃないか

 

 

悩んで悩んで悩みまくって、ときに涙が止まらなくなる。

沸き出てくる不安や苦悶を抑えながら、

たくさん自問自答し

他人の定型分のような言葉や雑念を削ぎ落とし、

深く深く沈めてしまった自分の素朴な気持ちや考えを掘り起こし、

それを受け止め、

やっと決断できた。

 

 

 

自分に正直な選択をできたこと・決断をできたことに、

不思議と自信がわいた。

 

腹の底に、ずっしりと強く力がついた感覚。

 

 

 

いる場所を変えよう。

 

 

 

もう戻らない。

自分が選んだことが正解

私の人生なんだから、

私が選んだことが正解。

 

その結果、

傷つくことも

傷つけることも

嬉しいことも

絶望することも

得られるものも

失うことも

一生の宝になること

一生背負うこと

 

いろいろあるけど

 

それが今の私をつくっている。

全てがかけがえのない経験。

 

その元となった、あのときのあの選択

代償はあまりに大きいけど

それは私にとって必要なことだった。

 

 

それを経て今私はここにいる。

 

 

今の自分が幸せならば

これからの未来に輝いていれば

これまでの経験は貴重なものとなる

 

 

心も体も

張り裂け、えぐられ、

もう元には戻らず

今は全く別のところにいる。

 

 

これから人生あと半分以上ある。

 

母や祖母を見ていると、

きっと私にもこれから楽しいことや嬉しいことが沢山あるんだろうなと

期待が膨らむ。

 

 

その裏にある

母や祖母の 苦労や努力は計り知れないけど、

母や祖母の強さを、私も持てるか分からないけど、

でも母や祖母のように生きたいと思う。

 

さぁ、

人生まだまだこれからだ。

 

私の人生、私が選んだことが正解だった。

 

だから

生きたいように生きよう。

 

 

嬉しい方向へ

少しずつ積み 重ねてきていたことが

嬉しい方向へと進みはじめた。

 

うまくいかないときでも
「きっと良くなる」 「やれる」と、その根拠はないけど
ごく自然とそう思えるようになった。

自信というより自己肯定感が強くなったんだと思う。

誰かに憧れ
誰かを真似て
誰かを指針とする

のではなくて


純粋に

真っ新の中、

自分のありたい姿や目指す先に

ワクワクしています。

 


笑っちゃうくらいに自由で、 他人を尊重し尊敬する人達に囲まれているお陰かな。
それで私も自由になれた気がする。

これから楽しみだ💪

 

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解放

なんだか、いろいろ解放される気分

 

約二年弱しんどかったなぁ

 

現れたときは

ひどく辛かったけど、そこから離れるきっかけをくれたんだと思う

体も心もボロボロになっだけど、そこまでにならなければ、私はきっといつまでも離れられなかったと思うから

 

もう二度と、触れることはないだろう。 

 

早く忘れよう

おふくろの味

私にとっての〝おふくろの味〟は

・サラダ

・アジのお刺身&南蛮漬け

です。

 


母方は漁師。 瀬戸内海。

父方は農家。 米と野菜。牛と烏骨鶏も飼ってたな。

 


子供の頃はわからなかったけど、とても贅沢な暮らしでした✨感謝ばかりです。

 


叔父がよくアジを30匹くらい分けてくれて

母はひたすら刺身にし、余ると南蛮漬けにしてくれました。

私はそれをひたすら食べる。とくにお刺身はいくらでも食べられるのよね😋

 

 

そして、野菜。

たくさんの種類の野菜を育てていました。

 


3時のおやつとして、キュウリを塩揉みにして食べてましたよ、小学生時代は。

祖父母も両親も共働きでしたから、コッソリ畑に忍び込んでね🤫w

 


野菜もとても美味しかった。

今でも、ついそのまま野菜を食べたくなるのは子供の頃にかじって美味しかったからだと思います。

キャベツ(とくに芯)も人参もピーマンもナスも何でも、ひとまず生のままチョットかじってみる。

わずかな味と香りと歯応えを感じたいという変な癖w

 

 

そして私は母の作るサラダが大好きでした。

とくに、ポテトサラダ。

野菜の酢の物も美味しかったなぁ。

 


先日また真似してサラダを作ってみたのだけど、なんか違った。というか全然違う。やっぱり違う。いつも違う。

酢の物ですら、ちょっと違う。

 


まだまだ母の味へは届きそうにないなぁ。

.....たぶん一生届かないんだろうけど、

時々無性に食べたくなって、また懲りずに作ってみたりして。

 

 

 

早く帰省できるようになるといいな。

サラダ、酢の物、アジを食べたい。

 


母に甘えるアラフォー女🤪🥊😝

「じいさんが好きやったよ」

数年ぶりに母方の祖母に会いました。

島に住んでいて、 海のものが豊富にあります。

 

そんな祖母が、ひじきを沢山くれました。

 

「ひじきはね、水に浸けといて、 醤油で煮たら美味しいよ。 」

 

と教えてくれました。

そして

 

「あれは、じいさんが好きやったよ」

と。

 

 

じいさんとは、 祖母の旦那さま。 もう30年近く前に亡くなりました。

 

私はこの祖母の言葉を聞いたとき

“祖父は、祖母の中で生きているんだな"と感じました。

祖母は祖父とずっと一緒にいるんだな、 と。

 

 

 

亡くなった方のことを

「○○さんは心の中で生きてるんだ。」

っていうのを耳にすることがあります。

実は私はそのことをよく理解できませんでした。

 

だってもう亡くなったら会いたくても会えないし会話もできないじゃん!生きてるんだったら連れてきてよって。

(子供ww)

 

が、

 

祖母のこの言葉で、 なんとなくそれを感じました。

日常のふとした瞬間に祖父のことが口に出る祖母。

 

亡くなってから30年経った今もずっと祖父のことを想い続けている祖母、

また、二人の心の繋がりが

すごく素敵だなと思いました。

 

身近な人の想いに触れて、やっとその気持ちを知る。

まだまだ体験していないことだらけだけど、人の想いを感じ汲み取れる人になりたい。