大和言葉
大和言葉を身につけたい。
昔から使われている、美しい日本語を学びたい。
そう思ってこの「きもの」という小説を読みました。
それは“大正期の女の半生をきものに寄せて描いた自伝的作品”。
カタカナはほとんど使われておらず、
まさに“美しい日本語”で書かれていて
昔私の祖母が使っていた懐かしい言葉も出てきたり
わからない言葉もありました。
調べてみると
その由来や響き、印象、その言葉に込められている心に惹かれるばかり。
物語からも、考え方や生きる知恵など勉強になりました。
知って終わり、学んで終わり、ではなくて
大和言葉が似合う女性になりたい。
きっとそれは長い長い道のりで
人生が続く限り学んでいくことなんだろうなぁ
数十年後、私はどんなおばあちゃんになってるかな✨

しっかって生きぃ
今92歳の祖母がよく言ってくれてたこと
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「人生っちゅうもんよーできちょる。おもしれぇ。
つれぇこともあるじゃろうが
悪りぃこともありゃええこともある。
ばあちゃんの人生おもしれぇど。
ばあちゃんの頃は みなやられて むちゃくちゃやったけど
どねーこねーやりあげてな。生きんにゃいけんかったけぇ。
ばあちゃんぐれぇになったらな、
なんもかんも笑い話になる
あんたも頑張りんさいや。
ええか。
死んじゃつまらんど。
死んじゃいけん。
あの頃ゃ よーけ死んだ
死んだらなんもかんも終わりじゃ、どねーもならん。
生きんにゃ。
生きちょったらどねーでもなる。
やけぇ生きちょらんにゃいけんど。
しっかって生きぃ。
ええか。
わかっちょるか。
なんかあったらすぐばあちゃんに言い。
ばあちゃんどこへでも あんたんとこに
とっぱらかして行くけぇ。
ええか。
素直
素直でいることが、一番、楽。
この頃そう強く思う。
裏を読んでみたり勘ぐってみたり疑ってみたり
自分が傷つかないために身につけたことだけど
そうしているとね心が疲弊する
結果的に自分を傷つけてる
人の気持ちって分かるようだけど結局全然違ったりするし
何やってんだって自分に苦笑い。
素直でいることが一番楽。
人って変わるんだってことも受け入れられるようになったし
人を信じることも、自分の中にとどめておくようになった。信じてたのに、って押し付けない。
だから
素直に自分の考えや気持ちを純粋に差し出して、
人の言葉をそのまま受け止める
性善説、ばんざい。
防御しない
傷つくことがあるとすれば
自分で自分を傷つけるより
無防備に人に傷つけられる方がいい
素直でいることが一番楽だ
心の中も断捨離
手放せた
人との出会いによって
人の言葉によって
人を大切に想う気持ちによって
なんだかふっと心が軽くなった
彼らがそれでいいなら
それでいい
私は私の道をいく
手放すときってこんなにあっさりしてるんだ
気合いを入れて
手を握りしめ
眉間に皺を寄せて
歯を食いしばりながら
自分に言い聞かせる
のではなく
心からそう思えた
自分の心の醜い部分が一瞬で消えた
自由になれた
あの人に
あの人の言葉に
救われた
自分を束縛することなく
大切なものを堂々と大切にし
軽やかに潔く
そして想いのままに
自分の人生を楽しもう
一点の曇りなく
好きなコトについては、たくさん知りたい
でも綺麗な情報しか取りたくない
ずっと綺麗で曇りひとつない状態でいたい
それは究極
「アイドルはトイレに行かない」レベルでいい
そんなことないって分かってるけど
それくらいでいい
情報が溢れているこの世界、
そうでない情報も得てしまう
その場へ行けば
いやでも耳に入ってしまう
それが事実なのか否かもわからないから
モヤッとするだけ
現実を知ってしまうと
全てが崩れてしまう気がする
潔癖すぎるのかな
情報の発信元を選ぶ
どこから情報を得るかって大切ね
距離感をきちんと保って
ここだけは清らかに純粋に
大切にしよう
一応....
アイドルに興味はありません....(__)
「暑いですね」
人通りの少ない田舎道を歩いていると、お婆さんが一人、反対車線の歩道を歩いているのが見えた。
この日は猛暑で日傘をさしても汗だくになる
大丈夫かな、と時々おばあさんを見ると
お婆さんも私を見てる(笑)
よそ者の私が珍しかったのかな
横断歩道ですれ違うとき、
お婆さんがにっこり笑って声をかけてくれた
「暑いですね」
なんだかすごく嬉しかった
今のご時世、
警戒するばかり、会話は控えめ、よそ者は白い目で見られる
そんな中、明らかに地元民ではない私に
「暑いですね」と
笑顔で何気ない会話をくれた
人の暖かさを感じた
人との繋がりを大切にする
って忘れてた
無防備な笑顔や会話に
懐かしさを覚えた
そうだ、
田舎では近所の方がこうして声をかけてくれてた
「暑いですね」
ほんとに嬉しかった